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映画『まく子』ネタバレ感想

先日、映画『まく子』を見ました~

かねてより板前姿の草彅さんの写真を見掛けるたびずっと見てえ~と思っていたので、プライムに追加されたのを機に鑑賞しました。

 

山間の温泉街のゆったりとした風景の中で、思春期の身体の変化に戸惑う少年の苦悩と成長が描かれた作品でした。「最後壊すと分かった上で作られる神輿」と「いつか死ぬと分かった上で生きていく僕たち」の対比が象徴的に用いられ、神輿を自分たちの手で壊すことで自らの小さな死を受け入れ、再生につなげるというみずみずしいエネルギーを感じました。小さな死の連続の先にある新たな生、その変化に伴う嫌悪感まるごと受容していくという姿勢ですね。

 

小5のさとちゃんが浮気する父親のことを「野蛮」と言うのが印象的でした。不潔と言うのは分かるけど、獣みたいに自分の快楽のみを追求して母親を悲しませていることを指しているんでしょうか。それとも無垢な正義感・道徳観をもった子どもにとって、判明に理解しがたいもの、自分の内にまだないものに対する異物的な感覚、嫌悪感、恐怖にも似た感情から出た言葉なんでしょうか。

 

神輿を破壊するシーンでこずえとさとちゃんに加え父親の愛人も参加していたのは、大人であっても破壊の選択をしていかなければならないという意味なのかなと勝手に思いました。ここで象徴的に示される破壊とは過去との決別、小さな死で、さとちゃんにとっては子どもから大人へと成長していくプロセスで捨て行く「子どもの僕」、愛人にとっては不倫相手及び交際していた月日、こずえにとってはこずえという肉体の小さな永遠。(あまりに単純化しすぎているかもしれませんが……。)

ただ壊すのではなく「ちゃんと送ってあげないとかわいそう」「消えて終わりじゃないように、再生する力に生まれ変わるように送る」と言う愛人ですが、不倫という関係性を終わらせる際、過去は変えられないけれども次に生まれ変わるエネルギーにする、終わってしまうから価値がないというのではなく、終わってしまうからこそ愛をもって送ろうというのは、父親の不倫と並列して神輿を壊すことも野蛮だと言っていたさとちゃんに対するアンサーなのかなと思いました。

 

さとちゃんの成長において父親との言葉を介したぶつかり合いや父親の方からはっきりと「愛人と別れる」と宣言してくるとかそういう明確な変化の場面はないんだけれど、さとちゃんが主体的に色々なことを吸収して摂理を受け入れていくのが自然に丁寧に描かれていて希望的なものを感じました。周りの大人は決して教え諭す高圧的な役割ではなくて、それぞれの距離感でさとちゃんを温かく見守ってくれてるんですよね。

 

作中で「小さな永遠」「大きな永遠」という言葉が出てくるのですが、小宇宙の観念について語っているのかな~と思いました。大いなる宇宙、天地と時空の包括概念に対する一人の小さな人間、しかしその内に宇宙の原理を抱く存在としての人間についてだと私は解釈したのですが、そうすると「体の中からこずえの声がする~」あたりの意味が個人的に納得できました。こずえは宇宙に還元されて、人々の中の小さな永遠になる的な……。

細胞が死と再生を繰り返し新しいものへと生まれ変わっていくこと、つまり細胞分裂であったり新陳代謝であったりの生命の動きというのはまさに宇宙の理としか言いようがない神秘的なもので、表面に現れる精通や初潮などの現象は、当事者の少年少女たちにとっては恐ろしく時に不快感を催すものであるが、そのような変化が神秘によって衝き動かされているというのはなんとも不思議な感覚というか、こんな小さい体の中に大いなる神秘が潜んでいるということは、日々心を悩ます事象がいかに矮小であるかを思い知らされるんだよな~と考えました。(スピ?) 小宇宙は常に死と再生によって変化していくものだが、その内に小さな永遠を抱いているという変わるものと変わらないものの対比がメッセージとしてがつんときました。

 

ドノのいう信じる論については、この世の不条理、とまで言わなくともこの先単純な問答では判別できない事柄に接したときひとまず「受容する」というプロセスを学ぶということなのかなと思いました。第二次性徴における自分の身体に対する生理的な嫌悪感がまさに人生における初めての不条理みたいなものなんでしょうかね。

 

お城の跡で落ち葉を撒くところは、まさに「不来方の~」の歌が思い出されるような綺麗で印象的なシーンでした。タイトルの「まく子」が「撒く子」であると気付くのにかなり時間がかかりました。

「全部落ちるから撒くのが楽しい。ずっと飛んでたらこんなに綺麗じゃない」というセリフは、永遠でないもの、刹那的なものに対する情愛が感じられて非常にいいな~と思いました。神輿の破壊にも通底する部分ですね。

 

こずえを演じた新音さんは適役でしたね。ファンタジー存在を演じきるあの神秘的な美しさは、鑑賞者にさとちゃんの恋を追体験させるようで圧倒的でした。

こずえの宇宙の話が砂絵で描かれるんですが、こずえの言う「身体が粒で出来てる(粒=細胞?)」説を表しているようで、映像美、こだわりを感じました。

 

草彅さんに関しては、彼は生来のさわやかさ、柔和な面持ち、やわらかくて甘い声で好青年的なパブリックイメージを形成していると思うのですが、それらが見事にたらし要素へと変化し、化学反応のごとく色気が増大していて最高でした。草彅さんの演じる姿を見る度に、この男の無尽蔵のポテンシャルは何だ!?とびっくりしてしまいますね……。

登場シーンでは、みんなが食事してる場にタバコ吸いながらスマホいじって現れて、食べないの?と聞かれて「おれいーや」と言うんですが、あの間の抜けた声がたまらない。最高。

美少女にいやらしくにやにやするところとか、本当にすけべさがにじみ出ててこうも別人格へと変貌できるのかとびっくりしました。私はどうしようもないが愛嬌だけはあるヒモ男っぽいのが好きなので、フラフラ飄々とした子持ちの色男はたまらないものがありました。

「おお~こずえちゃん学校どうだった?」と下心はあるがあくまでも町の大人として良識をもって声を掛けるあの微妙なニュアンスの表現!すばらしい。そしてシカトされて困り笑いを浮かべる感じ、そのあと「めちゃくちゃかわいいなあの子ぉ~♡」とでれでれしながら周りに言うの、ほんと、ほんと、ほんと……憎みきれないろくでなし感がにじみ出てて、まじでこういう男だった?つよし……と錯覚するほどでした。背を丸めて煙草吸う姿、なんて似合うんだこの男………。愛。

あと、こずえちゃんと仲良くしてんの~?とお母さんに聞かれたさとちゃんを「あんなにかわいいんだから仲良くしてるに決まってるよな♡」と言ってヘッドロックしてじゃれるところ!かわいい!たらしがそのまま父親になった感じ!そして振り払われてガチで機嫌悪くなる感じとか……リアルクズ父……かわい~♡うまい~♡てんさ~い♡(………。)

そして「さとしのやつだいぶお年頃きましたよね」と言われ「あ、そう」「いや俺鈍いから分かんねんだよそういうの。りょうちゃんの方がよく気が付くと思うよ。」と息子の成長にあまり気に掛けず自分より弟子?の方がよく分かってるから~と他人任せにする感じ、初見時は頼りがいの無い感じ、ダメ感がやらしくていいな♡と思ったんですが、原作者西加奈子さんのインタビューを読んで印象が変わりました。

madamefigaro.jp

 

『クズだけど、父親っぽく振る舞っていないことそれ自体はマチズモからの脱却である』という指摘で、そういう旧来の父親像にあてはまらない父親という観点から見ると、たしかに基本的には我関せずだけどさとちゃんが「おれの金玉変かな」って聞いてきた時にはちゃんと答えてやる姿勢はとてもいい父親かもしれないと思いました。

おにぎりのシーンについても、

『間違えるとすごくいいシーンになっちゃうから。でも鶴岡さん(監督)も、草彅さんも、わかりやすくサトシに歩み寄るシーンにしていない。サトシ君は息子なんだけど、それ以前にちゃんと人間として接している。いいシーンやったなと思います。草彅さんの目線がフラットだからかな』

クーーーーーそうなんだよな、分かりやすい感動シーンみたいな演出じゃなくて、おにぎりの湯気だけで風味ってか情緒を表してるのすごい。さとちゃんは終始黙ったまんまなんだよな。そして「こうするとな、感覚マヒして熱くても握れんの」という経験で得た知識を何気なく教えてくれる父親の姿は、大人になることがそう悪くもないのかもしれないと思わせる意味合いもあるんでしょうか。普段だらしなさばかりが目につく父親の、ちょっとかっこいい姿が染みますね。そしてさとちゃんの頭をくしゃ、として去っていく草なぎーーーーー♡

息子のパンツを洗ってやるところ、洗剤を乱雑に入れるところで「これ入れんのか?まいいか入れちゃえ」リアルー!ほんまにつよしが言うてるみたい。言いそう。萌え~。(1990年代初頭秋葉原生息オタク?) 草彅さんはリアルと物語の境を行ったり来たりする稀有な役者ですね。

そして大本命「僕の金玉変かな」と聞くシーン、あれは至高ですね。変な意味ではなく、本当にこの作品の中で一番ぐっときた。

「父ちゃんの金玉の方が変だぞ」

「うわっ…おえっ…」

「おえだよな。お前も俺も、ほんと。みんな変だよ。みんなおえだよ」

「気持ち悪いって思っていいんだ」

「だってきもいだろ~?きもいよ。」

この時二人の顔のアップというシンプルな構図なんですが、草彅の表情をなんて表したらいいのか。愛をもったまなざしというのも違うし、若人に対する親しみの情というか、うーーん見て!草彅の才を!としか言いようのないシーンなんだよな。じとっとした瞳が人生の倦怠感というか哀愁を表してて、いい感じにくたびれてて最高。自らにグロテスクな部分があることを受容するということ、そしてみんなきれいなもんじゃないんだぞということを、何気ないユーモラスなやり取りの中で父から息子へ伝えているのがいいなと思いました。キモさは希望。

そして「今度母ちゃん傷つけたら許さない、絶対」と言われたとき、それまでずっとさとちゃんが言葉を紡ぐのを待って瞬きせずに見つめていたのに、瞼をぱしぱしさせて「わかった。」と言うところの愛嬌よ!決しておどけたりしてるわけではないのに、この男のかわいさ憎めなさを思ってしまうすごいシーンなのよ。こうやってこの男は許されてきたんだろうな~という……。草彅剛は天才であった……ツー(流れ落ちるなみだ)

 

以上!全体的にすごく良い作品でした!見れてよかった!!おわり!