透明標本の水族館

ハードコア・アイドル・マシン

【ネタバレ】ミッドナイトスワン感想 芸術美と憧憬

2020年9月25日、草彅剛主演の『ミッドナイトスワン』を見ました。私が草彅さんにハマってから初めて見る主演作品です。以下ネタバレを含む感想を記します。

(不届き者なので未だ小説を読んでおらず、曖昧な部分も多いのですが、単純に映画を鑑賞した記録として残しておきます)

はじめに

まず、見終わった後、腹の奥底から得体の知れない圧迫感が湧き上がってきて、賑やかな通りを歩いて帰るのが躊躇われるほどの感傷をもたらす作品でした。

本作品は差別・偏見、ネグレクト、自傷、貧困、自殺、性産業など、人間の薄汚く泥臭い部分を描き、かつそれらが美しいバレエと共に存在する世界を示しています。目をそむけたくなるほど悲惨な現実と、至高の美が混じり合いながら一つの世界を構築している様は、圧巻でした。

本作は公開前からも多くの議論がなされるなど、賛否両論はっきりと分かれる作品です。この作品を“LGBTQについて正しい知識を啓蒙し、当事者をエンパワメントする”という観点から見ると確かに不適切な描写も多いのですが、ただ主人公凪沙が一果に「もっと高く羽ばたいて欲しい」と願ったことに表れる “美に対する憧憬・信仰”といった観点から捉えると、非常に優れた物語としての一面も持つ、と私は感じました。

演技

最初は草彅さんの広島弁や女口調が浮ついて違和感を覚えましたが、中盤からそれはすっぱり抜け去って、もはや女性に見えるとかではなく“彼女は誰かが演じている架空の人物だ”ということを忘れるほど、そこに一人の人間が存在しました。圧巻、というか草彅さんはこんなに他者そのものになって大丈夫なんかと、“他者の人生を自分の体を用いて描き出す”という演劇の本質的な恐ろしさ(にも似た深い感動)を体感させられました。途中短髪にして男性の装いをする箇所など、普段の草彅さんに見えちゃうのかなと思ったら、ふっつーに凪沙そのものだったんですよね。当然のごとく…

そして私が一番草彅剛スゲーと思った場面は、「なんで私が」と凪沙が鼻水垂らしながら情けなく泣くシーンです。「なんで私が(こんな辛い目に遭わなければならないのか)」という悲痛な叫びは、人々にとって極めて普遍的なものだけれども、普通人に見せたりしない部分だから、それを他人が100%の力で露わにしてくれた時“私とあなたは時・感情を共有している、互いに存在している”と思い知らされ、腹の底が震えるほど心を衝き動かされました。ただ一人の人間の、みじめで苦しくて恥ずかしくてつらくて情けなくてやり切れなくて心がばらばらになるような姿をこうも率直に表現されると、心の奥深い部分が刺激されますね。

こんなべた褒めしながらも、序盤は草彅さんよりも一果役の服部樹咲さんの方に目が行きました。とても美しい子なのに、ふてぶてしくて、寡黙で、ぶあいそで、変な子の演技が本当に上手い!新人であることが信じられないほどでした。思春期らしいぼそぼそっとした発声や人をにらみつけるようなジトっとした目などが強く印象に残っています。バイトがバレてバレエ教室で面談?した後「もういい」とヒステリックに叫ぶところや、凪沙にバレエを教える時のこまっしゃくれた態度などは、あまりの迫真性にボー然としてしまいました。

りんも服部さん同様に新人である上野鈴華さんが演じられたようですが、彼女も本当に優れた俳優ですね。あの気が強く利発で面倒見がいい姉御肌の女子中学生としてのリアリティは思わず惹きつけられました。

あと、水川あさみさんのヤンママっぷりはすごい!名演です。訛りの強い荒々しい怒声はさすがでした。まさに体当たりの演技だったと思います。出演者全員、演技と書くのも躊躇われるほど真に迫った演技を見せてくれました。

本作の特徴は、性と生が密接に結びついていることを鮮烈な視覚イメージと美しい音楽で示した点にあると思います。あのメロディは刹那的な幸福を象徴するようで、しばらく頭から離れませんでした。そして、りんが“飛ぶ”シーンなど、断片的なショットがグロテスクなほど美しく、ある種のすがすがしささえ感じました。バレエシーンでは、躍動する身体、かたちのよい四肢、筋肉の収縮、トゥシューズが床と擦れる音、うら若く美しい少女の生、至高の芸術美を目の当たりにした時の恍惚など、ただそこにあることがすばらしく尊いものが、見事に表現されていたと思います。

また、草彅さんの造形の美しさも際立っていました。女性的な相貌ではないのに、しっとりと濡れるような色気があって、顔にかかる影が憂いを感じさせました。コツコツとヒールを鳴らして歩く時、いつも顔は少し下を向いていて、鼻梁や瞼が深い影を落とすのが見惚れてしまうほど綺麗でした。

貧困

物語では新宿と広島という2つの場所が登場しますが、都会と田舎という隔たりはあるものの、どちらも猥雑で、薄汚くて、美しい夢なんて見出せないような町の姿がまざまざと描き出されていました。特に、田舎としての広島の、道や田んぼはだだっ広いのにどこか少しずつ心が削られていくような閉塞感や文化的な貧困の描写は非常に秀逸だったと思います。広島弁の荒々しい発声も、美しいバレエ音楽や、バレエの先生(真飛聖さん)の物腰柔らかでかつ芯のある上品な発声とは対照的で際立っていたと思います。

LGBTQをめぐる問題

性的指向は精神と身体の一番深いところで交わるものであり、他者がみだりに触れて傷つけていいものではないと深く考えさせられました。TVショーで形作られたトランス像-ユーモア・毒舌・奔放といったキャラを全面に押し出し画一化されたイメージ-の裏に、人の数だけ物理的・精神的な痛みが存在すること改めて思い知らされました。面接の際の男性社員の「研修受けましたよ、最近流行ってますよね」(セリフ合ってる?)という発言から読み取れる本質的な無理解や、女性社員による“デリケートなものとして明らかに気を遣われている”態度も、当事者にとっては自分が一般からかけ離れているという周縁意識をもたらすものだなと感じました。そして、特に凪沙が実家を訪れたシーンが凄まじかったです。凪沙母が凪沙の身体を見た時の悲鳴や恐ろしいものを見るような目、病気・化物呼ばわりなど、あまりに生々しく不快感を呼び起こすほどでした。一元的な“誰それが悪”という表現ではなく、社会に深く根付いた差別・偏見を吐き気がするほどあざやかに映し出していました。

母親

コンクールで、一果が舞台から実母の姿を見つけて踊れなくなってしまう(?)シーンは、どんなに信頼関係を築いたと思っても結局は血の繋がりが一番なのかと、見てるこちらまで苦しくなるものでした。凪沙の痛みを取り除いてやりたいと思わずにはいられない箇所です。そして性別適合手術を受けて、やっと自らの望んだ姿・母親になれると思ったらそうではなくて…というシーンは、血縁としての“血”と、流れ出すと痛みを伴う・生命維持に必要な物質としての“血”の二つが重なって印象付けられました。

一果が凪沙にバレエを教えるシーンなどは本当に微笑ましいものですね。一果は凪沙にとって理想の姿であり、母性(小さく愛おしいものを守り育てたいという感情)というよりは、美しいものを慈しむ気持ちであったり、自分の理想が不当に扱われているのを見て憐れに思い、自由に羽を広げさせてやりたいと願う気持ちであったり…が向けられていたのではないかと思いました。それが短い間でしか叶わなかった凪沙を思うと痛みが倍増ですね。

結婚式会場で突如踊り始めた娘について「やめさせた方がいいんじゃないか」と言うりん父に対し、りん母はそのままうっとりと娘を見つめながら自由に踊りを続けさせるシーンも大好きです。鼻持ちならないセレブママとしての印象が強いりん母ですが、あの場面では純粋に娘の美しさを思い、確かな情愛をもった母親の姿だったんですよね…

一果母は娘が自傷している時点で良い母親だとは言えないのですが、彼女なりに一果を守ろうとしていて、作品全体として決して“凪沙=聖母、一果母=悪”という描き方をしなかった点は良いなと思いました。彼女が一人で一果を育ててきた時間の厚みは確かなもので、一果も母親に呆れながらも共に過ごしてきた時間ゆえの?特別な思いを抱いているのが、私自身も母親に失望しながらもどこか期待するのをやめられない感覚を思い出してすごくリアルに感じられました。

凪沙、一果母、りん母、凪沙母、全く属性の異なる母親たちだけれども、みな愚かしくも愛すべき存在である点は共通していました。

りんと一果の関係性

思春期をバレエに捧げる少女二人の、嫉妬、苛立ち、焦燥、鬱屈などの泥臭い感情や、卓越した技芸を見た時のやりきれない思い、憧憬などを丁寧に描いていました。しかも、ありがちな“どろどろした女同士の対立”ではなく、尊い親愛として描いているのが良いなと思いました。女女の関係性の表象は百合か憎悪の二極化になりがちですが、本作品での描写は繊細でありながらもインパクトがあって、極限まで美しさが追求されていると思います。

バレエに金も時間も費やしてきたであろうりんは親を疎ましく思いつつも本当にプロを目指していただろうし、そんな中で挫折し、同時に傑出した才能に出会ってしまった時の単純な嫉妬だけではない複雑な感情(すばらしい技芸に感嘆するよろこびと、でも自分にはそれがないことを実感するという実践者としての苦悩)が如実に描かれていました。二人のキスは、性愛に拠るものではなく、そういう芸術に魅了された思春期の少女特有の関係性だと思いました。圧倒的な才能の持ち主に対して、そのすべてを自分の中に取り込みたい、愛おしい、憎たらしい、深く繋がりたいと思う気持ちは、実際バレエや音楽など文化活動をやっていた人には痛いぐらい分かると思います。

りんは、私が一番好きなキャラです。最初の体験レッスンの時、一果に(手をここに置くんだよ)ってトントンするシーンや、慣れた手つきで客をバンバン捌くシーンなどとても好きです。また、りんが“飛ぶ”シーンは、この映画の中で一番美しい場面だと思います。上野鈴華さんがりんを演じてくれて本当に良かった。すごくすごく綺麗だった。

批判

説明不足、ありがちなドリーム展開(バレエを始めてすぐ才能が開花するなど)は否めませんが、それを圧倒する役者の演技があったと思います。

ただ、最後凪沙が要介護の状態になるという展開ですが、術後が悪かった?手術が荒かった?セルフネグレクト?など様々な解釈があるけれども、あそこの説明を怠っていたのは配慮不足だなと感じました。実際、タイの医療技術について誤解を与えかねないし、“悲劇のトランス像の再生産”と批判されるのも無理はないほど、トランス女性の境遇があまりに悲劇的に描かれていました。全員が全員疑問に思ったことを調べるわけでもなし、映画のもつ社会的責任を果たすべきだったとは思います。性別適合手術について一般に広く認知されてない世の中で、無関心な層にショッキングな映像で訴えかけるという手法は、そりゃ多少の効果はあるだろうけど、基本的には悪手だと私は考えます。自分がマイノリティであったら、マジョリティにこんな描き方されるなんてたまったもんじゃないと思うだろうし…私自身は今回批判的に捉えた方の意見を尊重したいなと思いました。

あと、最後の国際コンクール?での「見てて」というセリフは無粋かなーとも思ってしまいました…

おわりに

本作品は決して100点満点の作品だとは言えないと思います。しかし、役者の演技や美しいバレエなど、非常に優れた部分も確かにあったと思います。とにかくたくさんの人に見て・批評してもらって、フィクションの在り方を模索していけたらいいですね。何はともあれ、草彅さん、お疲れ様です!!!おわり♫