『No.9-不滅の旋律-』感想
先日、TBS赤坂ACTシアターで稲垣吾郎さん主演の舞台『No.9-不滅の旋律-』を見て来ました~
19世紀初頭ウィーンにおける激しい変革の最中、様々な思惑や運命に翻弄されながらも古典の名作『第九』を生み出した天才音楽家・ベートーベンと彼を支えた人々の姿を描いた作品です。
私自身は、今年SMAPのファンになって初めて会うのが吾郎さんということで、もうブチ上がりもいいとこ、大興奮でした。また、観劇自体あまり経験がないもので、生吾郎&3時間の舞台に耐えられるのか…!?と不安でしたが、杞憂でした。
まず第一声を聞いて、一瞬にして惹き込まれました。
吾郎さんといえば繊細な甘い声の印象だったのですが、誇り高き芸術家を思わせる朗々とした響きよい声を聞き、吾郎ちゃんってこんな深みのある声も出せるんだ…と正直びっくりしました。
激情に身を任せ声を荒げる様、嗚咽を漏らす姿などは真に迫るものがありました。彼のポテンシャルは底知れずですね。
以前彼の主演映画『ばるぼら』を鑑賞し、彼の役者としての能力の高さを理解したつもりだったのですが、生というのもあってか圧倒的な力で覆されたような気がします。
ばるぼらでは彼のパブリックイメージに近い「クールな風を装いつつも内にもろい部分を抱えた色男、自由人」という役どころでしたが、今回のベートーベンは最初から最後まで激情をむき出しにしてモロに他者にぶつけてくるんですよね。天才的な作曲能力の根源でもある鋭敏な感性や病的な偏執のために自ら破滅へと進んでいくような、不器用で、あまりにも痛々しくて見ていられないような人。
やはり吾郎さんはプライドとコンプレックスの拗らせ極致みたいな男性の脆弱性の表現が秀逸だと思いました。誇り高い男がとことん追い詰められてボロボロになってこそ輝く姿がこうも似合ってしまう。刹那的な煌めき、人々を魅了する魔的な力が彼自身の内にもある。
しかし、それを安定して供給できるような、役者としての自覚・矜持と言うんでしょうか、根底のどっしりと構えた芯の存在が確かにあったからこそ、ベートーベンという一人の人間の物語を演じ切ることが出来たんだと思います。
父親の幻影に怯え、身を削るように愛を与え音楽を創り出すベートーベンの姿は、芝居という枠を超えて鑑賞者を惹きつける強烈な魅力がありました。
また、音楽家としての苦悩、父親との確執・呪縛といった暗いエネルギーをまざまざと描き出しながらも、ベートーベンと彼を取り巻く人々の間の親愛や受容を描いた物語でもあったと思います。
マリアやナネッテといった闊達なキャラクター、三枚目のメルツェルやフリッツなどは、とても魅力的で愛着を抱かざるを得ませんね。
特にマリアの義兄はとにかくいいやつ…いいやつ……
ベートーベン自体も偏屈ではあるけど愛すべき人間であるというのも周囲との掛け合いの中で垣間見え、ほっこりしました。なんだっけ…胸で体当たり?するくだり、好きです…(うろおぼえ)
そして、革命期のヨーロッパにおける芸術の政治的利用やベートーベンの作品群など、音楽史的な観点からも楽しめました。
両サイドに配置したピアノの生演奏は、時空を超えてベートーベンの頭の中に流れる音楽と鑑賞者が共鳴するような感覚をもたらし、心ゆくまで没入できました。演奏者がこちらに背を向けるような形なので、ピアノを弾く手元が見えるのもなかなか貴重でしたね。
最後の第九に向かって熱が高まっていく演出、生の合唱は鳥肌が立つほどの迫力がありました。素晴らしかったです。こんな状況下ですが、やはり生の芸術体験は凄まじいものがありますね。空気の振動が直に肌に伝わる感覚は唯一無二だなと思いました。